「1リットルの涙」 なぜこれほど心を揺さぶられ涙するのか。

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第10話のレビューの最後で募った「なぜ泣けるのか」という質問に対する皆さんの答えについてのまとめと考察です。

これほどまでに多くの回答が得られるとは正直思っていませんでした。最終回を迎えた本日に至っても、第10話のレビューはライブドアのブログランキング(記事別)にランクされており、レビューの内容はどうであれこのドラマへの関心が明らかに初回の時とは違うこと・ドラマの認知度が高まった事を表す結果になっていると思います。


コメントの全てを紹介する事は難しいですが、できる限り…。


まず「病気に対する悔しさ」を挙げたコメントを紹介します。


「この世界に難病で苦しむ多くの人々がいるのだという事、
そしてどうして彼らでなくてはならないのか、
さらにどうしてあんなに苦しまなくてはいけないのか。」
(by エルメスさん)

「今回亜也が出来る事を消していこうとしていたのですが、
そういった亜也の行動の一つ一つが
病気によって左右されていることに対する悔しさですね。」
(by Lさん)

「本人の強さに感動し人の弱さを痛感し
変えられない事実に悔しさとか怒りを覚えて…」
(by 夏輝さん)

「悲しく辛い現実に泣き、病気に対する悔しさに泣き、
周りの人たちの姿に感動して泣き、
前へ前へ進もうとする亜也の姿に泣いてます。」
(by lavishさん)

「この蟠りが解消されるには医学の発展を待つしかないのですね。
悔しくて心が痛いです。」
(by スパンコールさん)

「このドラマが泣けるわけ。
それはきっと、主人公の運命が、自分の力ではどうにもならないと分かってしまっているからだと思います。
克服するとか耐えるとか、そんなレベルの話じゃないから。」
(by まいさん)

「普通に生活していると忘れてしまうようなことに気付かされた時、
そして亜也がそれをできなくなってしまった時に泣けるのだと思います。」
(by みっちーさん)

「今日も、今も、世界では沢山の命の火が消えています。
同じように生まれくる人もいます。
時は止められない。自然にも、死にも逆らえない。」
(by Animeさん)

「助けれるなら助けたい!
もっといっぱいやりたいことやらしてあげたいとか、悔しさで泣いてしまいました。
そして、今流されるようにしか生きていない自分を恥ずかしく思いました。
なんで、こんな頑張ってる子が死ななくちゃいけないんだろうと思うと悲しいです。」
(by hideoさん)


「病気はどうして私を選んだの?」
ドラマの序盤で亜也が吐き出した言葉がこれです。病気というものはたとえ今健康体であったとしても、いつ自分たちを襲うか分からないもの。すなわちターゲットが「無差別」ということ。「どうして彼らでなくてはならないのか」とありますが、「彼ら」じゃなかったらやはり他の人が病気にかかってしまい同じように苦しんでしまうわけです。こればかりは医学の発展を待つしかなく、誰もが病気にかかったとしても完治できるような治療システムが構築されない限り、悔しいですがこの疑問が解決される事はないのではないでしょうか。
いくら患者が「もういいよ」などと完治を諦め、残された人生を前向きに生きようと足を踏み出したとしても、やはりそれは「最初から望んでいた」「幼き頃から夢描いてきた」人生ではないです。病気によって曲げられてしまった人生なのです。「病気さえ治れば」、もしくは「なければ」と考えればキリがないですが、それこそが亜也の望んでいた人生を歩むためのおそらく「前提条件」の1つだったはずです。誰が決めた運命か知りませんが、この「脊髄小脳変性症」にかかった事により亜也の人生の選択肢の大部分が失われたという事実は、揺るぎのないものです。もろちんそれと時を同じくして新たに出来る事も増えたでしょう。しかしそれが初めから「望んでいた」ものだったかと考えると、一概に頷けないものがあります。
「病気」が亜也に襲い掛かった事実に対する疑問というよりは、「病気」によってどうしてこれほど「(亜也を含めた)人々」が苦しまなくてはいけないのか・降りかかる現実がどうしてこんなに辛いものなのかという疑問から生まれる強い悔しさを感じました。


次に「亜也」やその周りの人々の姿についてのコメントです。

「亜也(や家族)を自分に重ねて考えて、それが胸の苦しさになっているような気がします。」
(by モッツさん)

「それは周りが潮香さんや麻生君のように、
自分と同じ「1リットルの涙」を流していることがわかってるから、努力できるんです。」
(by KinichiMさん)

「私の場合立場を置き換えると
たまらなく無常をかんじてしまいます。」
(by 鬼蝶さん)

「ドラマを見ていると亜也ちゃんの気持ちが伝わったり・・・。」
(by きーさん)

「彼女の心が築きあげた山の高さ、そして、手のひらの上のちっぽけな輝きに私は感動しているのだと思います。
無力だけど、計り知れない、人間の力に涙するのだと思います。」
(by ミオさん)

「そしてそんなどうしようもない状態に置かれたときには、人の優しさや強さが本当によくわかるんです。
このドラマでは、彼女の強さと周囲の優しさが見る人の心をうつのではないでしょうか。」
(by hermitさん)

「亜也が自分の事を自分で良く分かっていて、
それでも病気に真っ直ぐに向かっていている姿勢に心打たれるのだと思います。」
(by みょうがの芯さん)

「ここで描かれる池内亜也の生き様が木藤亜也の生きた軌跡とダブって見えてしまうからです。
池内亜也の苦悩ひとつひとつが
すべて木藤亜也さんが体験してきた事。
そして25年たった今でも自分たちは建前ではいい人ぶっても本音では距離を置いてしまうずるい人。
知らないでいる事がどれほど人を傷つけてしまうのか。
そして知ってしまう事がどれほど苦悩させてしまうのか。」
(by ikasama423さん)

「亜也の頑張り」
先に挙げたように、それがどれだけ前向きで素晴らしいものであっても病気によって進路が絶たれることがしばしば。そんな絶望的な状況にあっても、亜也は自らを誰よりも良く知り、「歩けなくなってたまるか」と自主的にリハビリによる歩行訓練に参加したりするなど人一倍に努力して病気に立ち向かっていった。ドラマの中でそれに励まされた人は、最終回になって亜也にメッセージを届けてくれた。

「死んじゃいたいと思っていました。私も亜也さんと同じ病気です。先生に治らないと言われた時は一杯泣きました。学校でもじろじろ見られて、付き合っていた彼氏も離れていきました。なんで私なのとお母さんにいつも当たっていました。私は病気になって、地面だけ見ていた事に気づきました。亜也さんみたいに強くなりたい。これからは辛くて一杯泣いても、亜也さんのように強く生きて生きたい。」

亜也の生き様は確かに、病気という過酷な運命の流れに逆らうという辛く、苦しみを伴った物でした。亜也はその甲斐も空しくその生涯を閉じます。しかし亜也の行動によって心を動かされた人は絶対に少なくない。亜也のしてきた事は恥ずかしい事ではない、そう思っている人も少なくないはずです。

ドラマを見ている人の中でも現在進行形で難病で苦しんでいる方々がいるはずです。このノンフィクションストーリーの主人公「亜也」が「今」を生きる事に真剣に取り組んでいた姿に心をうたれ、同じように前向きに自分を見つめられるようになれば、それは「亜也」や彼女に関わった全ての人々の願いでもあるような気がします。


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